節分は年に何回ある?節分の本当の意味と恵方巻きの由来

節分といえば豆まきや恵方巻ですよね。
2022年の恵方は、北北西やや北です!

その豆まきって年に1度しかしないので、
当然節分も年に1度だと思っていたのですが、
実は節分は1度ではない!という話を聞きました。

私たちに馴染みのある節分といえば
2月3日ですが、
他の節分はいつなのでしょうか?

それに、子供の頃から馴染みの行事だったので
深く考えたことがありませんでしたが、
そもそもなぜ豆まきをしたり
恵方巻を食べたりするのでしょうか?

年に何度か節分はあるのに
豆まきなどをするのは1度だけ
というのも不思議ですよね。

誰もが知っている節分ですが、
案外知らないことがたくさんあるようです!

そこで今回は、
節分は年に何回あるのかということや、
そもそも節分とはどういうものなのか、
なぜ豆まきをしたり
恵方巻を食べるようになったのか?
恵方巻きの本当の由来など
について調べてみました。

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節分は年に4回ある

節分は年に何回ある?

節分は何回あるのか?
ということについての答えですが、
節分は年に4回あります。

漢字を見ると分かるのですが、
節分には季節を分けるという意味があります。
季節は春夏秋冬の4つですね。
なので、節分は4回ということになります。

立春、立夏、立秋、立冬が
季節の変わり目という風に言われています。
この季節の変わり目、
つまり季節の始まりの日の前日を節分としています。

豆まきの由来

豆まきの由来

節分といえば、「鬼は外!福は内!」
という掛け声と共に豆まきをしますよね。

鬼を追い出す為に
豆まきをしているというのは分かりますが、
そもそもなぜ豆まきをするようになったのでしょうか。

鬼を追い出すという風習の歴史は
とても古くからあって、
平安時代には既に宮中行事として行われていたそうなのです。

江戸時代になると、寺などでも行われるようになり、
徐々に庶民の間にも広がっていったそうです。

季節の変わり目というのは、
病気や天災など、
様々な悪いものが入ってくるという風に言われていました。
それらの悪いものを擬人化したのが鬼なのだそうです。

そして、鬼を追い払うための物が
どうして豆なのかというと、
豆=まめ=魔滅という風に連想されて、
悪いものを追い払うには
豆が良いという風に言われるようになったと考えられます。

恵方巻きの由来

恵方巻きの由来

節分では、豆まきと共に定番となっている恵方巻ですね。
この恵方巻が全国的に定着し始めたのは
割と最近です。

おおもとをたどれば、
江戸時代幕末、関西の方で、
無病息災、家内安全と商売繁盛などを祈願して
太巻きを食べる行事があったようです。

そこから昭和に飛ぶんですが、
1932年頃に大阪鮓(すし)商組合が
「節分に恵方を向いていっぽんまるまる
巻きすしを一言もしゃべらずに
かぶれば幸福になる」
とチラシを配りました。

1973年頃に大阪海苔問屋協同組合が
「節分の夜に恵方に向かって無言で太巻きを
丸かぶりすると幸福になると
昔から言い伝えられています」
と書いたチラシを
寿司屋に海苔を納品するときに配りました。

1983年にファミリーマートが関西地区で
恵方巻きを販売。

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1989年にセブンイレブンが広島で販売スタート。
徐々にエリアを拡大し、
1998年に全国で販売するようになりました。

恵方巻も豆まきのように
古くからされてきたことなのかなと思っていたので、
とても意外でした!
商売人・企業によるキャンペーンが発端で
イベント、文化ができあがってるんですね。

日本のクリスマス、バレンタイン、ハロウィンなど
すべてのイベントや文化が
商売人のアイディアから
キャンペーンが始まって
流行り廃りがあって
残ったものが文化として定着していくんですね。
勉強になります。。。

怖い!恵方巻きの下品な由来はデマかホントか?

上記で説明した恵方巻きの由来ですが、
江戸時代幕末から一気に昭和時代に飛んでいます。
その期間、いったい何があったんでしょうか?
と気になるのは私だけ???

幕末から関西で
無病息災、家内安全と商売繁盛などを祈願して
太巻きを食べる風習があってから、

大正、昭和初期に、
大阪船場の花街で女の子に
太巻きを丸かじりさせる
遊びが流行したというのです。
いろっぱい表情でほお張る姿を
商人たちは見て楽しんだよう。

これが本当の由来だと思う人は
恵方巻きを下品で卑猥で怖いと考え
撲滅運動までしようとしています。
もちろん、企業もこの由来は
イメージが悪いので隠し続けます。

しかし、本当の由来は下記の内容と言われています。

大阪の阿倍野区付近では
戦前よりも古くから
太巻きをそのまま食べる風習があった事、
実際に住まれている方からも
その言葉が出ている事、
住吉大社と船場花街との繋がり、
船場花街で恵方巻を食べていた証言が出た時期が
昭和初期である事、
この様な由来の糸を紡いでいくと、
普通に考えれば「船場の花街だけ」
という
「阿倍野区近辺だけ」よりも
更に更に局所的な物事が
広く普及するとは考えにくいです。

時期を考慮した上で
最も矛盾なく受け入れられる説としては
阿倍野区近辺で昔から行われていた、
節分時に太巻きをそのまま食べる行為を
住吉大社と大きな繋がりのある
船場花街関係者が知り、
その風習を花街へ持ち帰った。

それを見た船場商人は
花街遊女の食べ方として販促を促進し、
いつしかそれは花街の遊女が起源、
由来だと信じられるようになった。

という事です。

出典:https://fm0817.com/ehoumaki-kigen

起源が大事であって、
そこから派生する風習やイベントって
いろいろあるわけで、
それが低俗なことや卑猥なことになっても
そこはスルーでいいんじゃないでしょうか。
そんな風習やイベントって
あらゆるところで発生してると思うんです。
それが大衆に受け入れられたら
文化になりますし。
反社会的なら廃れていくと思います。

なぜ立春だけ豆まきをする?

恵方巻もそうですが、
豆まきといえば
立春の前日にある節分だけに行いますよね。

私のように節分といえば
立春の前日にある春の節分だけだと思っていたという方も
少なくないのではないでしょうか?

どうして春の節分が最も一般的になったのかというと、
昔は長い冬が明けて
春が始まる立春を
1年の始まりともしていたので、
風習や儀式が多かったということで
節分=立春という風に定着したと言われているそうです。

立春、立夏、立秋、立冬はいつ?

立春、立夏、立秋、立冬はいつ?

春の節分といえば
2月3日というイメージが強いですが、
立春、立夏、立秋、立冬は
きちんと日付が決められておらず、
年によっては異なるのだそうです。

立春=2月4日頃

立夏=5月5日頃

立秋=8月7日頃

立冬=11月7日頃

このように大体は決まっていますが、
固定されているわけではないです。

これらは太陽の動きを元に
国立天文台で決められているので、
微妙にずれることがあるみたいです。

節分は年に何回ある?のまとめ

節分は立春、立夏、立秋、立冬の前日
だということなので、
年に4回あるということでした。

ただ、春の節分は昔は1年の始まりともされていて、
大切にされてきたことから
節分と言えば春の節分という風に定着し、
豆まきをしたり恵方巻を食べるのは春の節分となっているようです。

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