前回のブログでは、私の友人が”稲荷神社は合わないし、稲荷神社に行ってはいけない”と言っていたので稲荷神社についてかなり深く調べてみました。
最初は、お稲荷さんの祟りが原因なのかなと思っていましたが、結局はそんなのはなく。歴史のどこかで言い伝えが違った方向に解釈されて、自分には合わないし、近寄らないほうがいいと思い込んでしまったのだと思っています。
しかし、稲荷神社について深く調べれば調べるほどもっと怖い!?ことがわかってきました。キリスト教とinriと稲荷、秦氏とユダヤと神社の関係などまとめてたいと思います。
前回の記事>>稲荷神社に行ってはいけない人とは
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稲荷神社が怖いのは秦氏が造ったキリスト教会だったこと
まずはこの動画を見てほしいんですが、イスラエル民族(ユダヤ人)が迫害をうけ、ある部族は東へ逃げて、やがて日本へ上陸したという話です。
ユダヤ人の定義は後で述べますが、ユーラシア大陸に逃げた一部のイスラエル部族は弓月国(ゆづきのくに)をつくり、途中で生き延びるためキリスト教に改宗しました。
そして、弓月国から秦という名前の一族が数万人単位で日本に移住してきたのですが、高度な技術をもっていたので稲荷神社だけでなく、八幡神社、八坂神社、そして平安京を造っています。
稲荷はINRIであってキリスト教会を意味していると言っています。
日本人のユダヤ顔とは
ユダヤ人の定義はユダヤ教徒になることなので、他民族でも改宗すれば誰でもユダヤ人になれます。
なので、世間一般のユダヤ人のイメージである白人もユダヤ教に改宗することでユダヤ人になりました。
旧約聖書で描かれている時代(紀元前20世紀~紀元前4世紀)から紀元後8世紀まで白人のユダヤ人は一切いませんでしたが、8~9世紀にコーカサス地方(黒海・カスピ海周辺)にあったハザール王国に白人系ユダヤ人が誕生します。
東ローマ帝国(キリスト教)とイスラム帝国(イスラム教)に挟まれたハザールの国王は(トルコ系)白人の国民をユダヤ教徒にすれば生き残れると考え、国民全員を改宗させたことからはじまりました。
しかしハザール王国は隣国のキエフルーシ公国に敗れ、キエフルーシ公国も12世紀にはモンゴル帝国によって滅亡します。東ヨーロッパに散ってなんとか生き延びた難民がアシュケナジーユダヤ人と呼ばれ、これが世間一般にイメージされる白人系ユダヤ人の始祖になります。(西ローマ帝国からポーランドへ移住したユダヤ人もアシュケナージユダヤ人と呼ばれている)
現在ユダヤ人の9割がこの白人系ユダヤ人だから、ユダヤ人=白人とイメージされますが、残りの10%はというと、ローマ帝国からイベリア半島を越えて逃れてきた北アフリカ難民のスファラディーユダヤ人と、旧約聖書に書かれているオリエンタル系ユダヤ人(ミズラヒ)で、黒髪で浅黒い肌色であり、正統ユダヤ人としてアシュケナジムユダヤ人とは区別されています。
正統ユダヤ人とは古代イスラエル民族であり、その一部族が、迫害をさける(生き残る)ためキリスト教に改宗し、ユーラシア大陸を横断し、朝鮮半島をわたって日本に上陸したと言われているのが秦氏というわけです。
とは言え、真のユダヤ人とはユダ王国を建国したユダ族・ベニヤミン族であり、失われた10支族の方は多神教の影響を受け、キリスト教に改宗する支族もいて、ユダヤ人といっていいのかどうかは疑問です。
日猶同祖先論というより、日以同祖先論と言ったほうがしっくりくるのは私だけでしょうか?
また、古代イスラエル民族が祖先であるユダヤ系日本人の顔は黒髪で浅黒い肌色をしていると言われています。
ユダヤ人とイスラエルについてより詳く解説しているサイトはこちら
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inriと稲荷神社を都市伝説として語る時
この動画では、日本に移住してきた秦氏は、イスラエル王国を建国した失われた10支族の一族が先祖ではなく、バビロン帝国やローマ帝国に反抗しエルサレムに居続けたユダ王国を建国したユダ族が先祖であると言っています。
彼らはユダヤ人原始キリスト教徒と言われていますが、カトリックとは全然違う原始キリスト教は理想であると思いますが、一切多神教を許さず選民思想を持ち最後までエルサレムに残り続けた信仰深いユダ族がなぜユダヤ教を捨てて原始キリスト教に改宗できたのでしょうか?
京都がなぜ都になったのか?
伊勢神宮や出雲大社の鳥居は白木なのに、なぜ稲荷神社の鳥居は朱色なのか?
ユダヤ教に通ずる過越や伏見稲荷神社の祝詞の解説には納得させられました。
秦氏がINRI神社を作ったあとの話。
もともとイナリは異也や伊奈利と漢字で表現されていましたが、なぜ空海が稲荷という漢字を当て、普及させていったのでしょうか?
空海のエピソード
空海が中国へ留学した際、景教(キリスト教)とゾロアスター教と仏教をまとめて真言宗をつくったという話
平家はペルシャ人だった
ゾロアスター教から、厳島神社、ペルシャ人、秦氏、平清盛にまで至る話